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ふる里の価値に気づく

奥出雲多根自然博物館 館長、ぬうびじょん 島根地区会長
宇田川和義 さん


 日本古来の和鉄と呼ばれる「たたら製鉄」が約1400年前から行われ、日本有数のたたら製鉄の産地として栄えた島根県奥出雲町。この原料である砂鉄を採取する鉄穴流しによって形成された水田や、林業、畜産などが持続可能なスタイルに繋がり固有の歴史的、文化的景観により今も特徴的な美しい農村を形成しています。国の重要文化的景観や、日本遺産に選ばれ、世界農業遺産申請が決まった奥出雲の魅力を奥出雲多根自然博物館館長の宇田川和義さんにお話を伺いました。


始まりは役場から

 19歳で役場に入った時、まず町民の方の名前と顔を覚えなさいと先輩から教えられました。町民の方に「どちら様でしょうか」ではなく、名前と顔を覚えて、町民に仕える役目を担う職員としてお話を伺う。そうすると心の距離がグッと近くなるのです。

 私たちの時代は個人情報云々の壁もあまりなく、役場にはさまざまな用件で来庁されていましたが、当時、若輩ながらそんな窓口対応は全然苦になりませんでした。同僚の中には話を聴くことを敬遠する人もいましたが、私は逆に「今日はどんな話かな」と町民の方のお顔を拝見しながら興味津々でした。どんな難しい案件でも、その方と一緒になって考え、相談に乗りました。文句を言いに来た人が、話し終わると安心して笑顔で握手して帰られます。こちらも気づくことが多く、勉強になり楽しかったですね。

企業経営者型の元町長

 私の人生に大きな影響を与えた人がいます。岩田一郎元奥出雲町長です。町長就任前の町議会議員当時にも何回かお目にかかりましたが、議員の立場で高い見識で積極的な町づくりに尽力されていました。
 昭和58年、町長に就任された岩田さんは、役場職員の意識を徹底的に改革しました。それは民間と役所の温度差を知ることからでした。与えられた仕事をただやっていればよいのではなく、具体的な成果のために役目を果たすという意識改革から始まりました。

 企業経営型の一方で、まさに町民一人ひとりに対する気くばりをする行政を行いました。一戸だから無理ではなく、どんな辺地の住宅でも車が行ける道路を、また上下水道が整備される方策など、すべては町民のためにという姿勢を学びました。道路など公共施設や水田などの区画整備には、地域全体で用地を負担する全国初の共同減歩方式というアイデアにより、山間地における機能的な町づくりの基盤が整備されました。


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奥出雲の実りの棚田

所得なきところに定住なし

 定住対策には生活できる所得の確保が絶対条件です。働き場の確保や特産品の開発、交流人口による活性化など、町が自ら起業する第三セクターを積極的に設立し、行政施策により具体的な成果の実現が図られました。特に基幹産業であるコメ農家では、平成7年のコメ価格の自由化当時、60㎏(1俵)約1万6千円程度まで米価が下落し、農機具の買い換えもできない状況となりました。また、耕作放棄地や後継者不足が大きな課題となっていました。

 岩田元町長は、良質の仁多米が「島根米」として一括流通され、価値に見合う生産者米価となっていないことに疑問を抱き、なんとか良質米にふさわしい販売価格を実現し農家所得の向上を図りました。そして、仁多米の産地を守ることこそが定住対策の基本と位置づけました。

郷土の誇り仁多米

 仁多米の美味しさは、たたら製鉄の歴史と共に形成された棚田と、85%が林野という奥出雲のミネラル豊富な湧き水と、特有の寒暖差などの風土が育んでいます。この恵まれた自然条件を活かし、仁多でなければできない消費者の求める仁多米ブランド米への取り組みが始まりました。

 まず、仁多米を集荷する「仁多郡カントリーエレベーター(3千トン・モミ貯蔵)」を建設し、出荷直前のモミ摺り、精米により、年中新鮮なお米が産地直送で出荷できる体制を整えました。さらに安心・安全な信頼の産地づくりを推進する「たい肥センター」を整備し地元和牛の完熟たい肥による減化学肥料、減農薬による栽培システムを構築しました。そして、平成10年度には販売を担う第三セクター奥出雲仁多米(株)が設立され「仁多米」のブランド化戦略が始まりました。私は新設の仁多米振興室長の辞令を受け、第三セクター販売と農家所得向上の責任者となり、慣れないビジネス・流通の世界を経験することになりました。

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仁多郡カントリーエレベーターでは、生きた籾のままサイロで貯蔵することで、夏場でも新米と変わらない品質を保つ。


 生産から販売まで、町が一貫した責任を持つことで、品質と信頼のブランド米として本物志向の顧客を持つ首都圏のブランドスーパーで取り扱っていただく作戦です。最初に東京の「成城石井」さんにおむすびを持参し、仁多米の物語を説明しました。するとバイヤーさんから「ぜひやりましょう」と言っていただき、ギフトカタログに魚沼米と仁多米が並んで載りました。お客さまが未だ知らない良品をマーケットは求めていました。知名度がなかったことがブランド米になったキーワードです。これをきっかけに、「西日本にもこんなおいしいお米がある」と百貨店や各社のギフトカタログに取り上げていただき、同時に個人通販も増え始めました。

 農家所得向上の施策であり、売れるかどうか未定の段階で60㎏・2万円の基準を満たす生産者米価を実現するという、最初から背水の陣です。ブランド化には5年の猶予を町長から言われましたが、結果を見ると、4年で黒字になり、町への寄付金も実現することができました。そして、一般の島根米とは違う生産者価格と、全国ブランド仁多米となり農家の方には誇りが生まれ、奥出雲ならではの農業を再生することができました。

 料理研究家の中村成子さんのご指導、首都圏在住の郷土出身同窓生をはじめ、流通関係者など多くの方々のご協力をいただいた賜物であり、すべては人のご縁ということにも気づきました。

三城との関わり

 奥出雲ご出身というご縁をいただくメガネの三城創業者・故多根良尾さまの、人間味あふれるお人柄と温かい笑顔は今も心に染みています。そのご遺志を継がれた三城ホールディングス故多根裕詞前会長さまには、子どもの神様・志学荒神社の竣工、奥出雲多根自然博物館の建設にご尽力を賜って以来30数年に及び、親しくご指導をいただきました。お会いするたびに新たな気づきと、未来を見通した示唆をいただきました。

 特に「生まれた奇跡、出会いの不思議」をテーマに創立された奥出雲多根自然博物館は、夜の博物館「ナイトミュージアム」が楽しめる、泊まれる博物館として近年全国から注目を集めています。
 三城と、多根家ゆかりのふる里に建つ、ユニークな博物館に滞在していただき、奥出雲の限りない魅力を、ぜひ体験してください。きっと不思議なパワースポットとして感じていただけると思います。

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博物館のナイトミュージアム


『砂の器』の舞台


 平成15年TBSから『砂の器』ドラマ制作の件で来訪がありました。奥出雲のかめだけ亀嵩を舞台とするドラマながら、奥出雲でのロケはできないので、地名だけご了解くださいということでした。キャストもとても豪華で、そのような大作ならぜひ本当の亀嵩でロケをして欲しいと思い、勇気を出して最初のロケ地・兵庫県城崎まで、監督の福澤克維さんに会いに行きました。「超大作にふさわしく、ぜひ『砂の器』の聖地・亀嵩でロケをしてください。できる限り協力します」と頼みました。話を聞いていただいた監督からせっかくならと言っていただき、予定を変更し亀嵩でのロケが実現しました。

 亀嵩をはじめ仁多地域の皆さまは、『砂の器』と聞くと誰もが協力的になります。実際のロケでは地域を挙げて、炊き出しをしたり協力してくれました。福澤監督からは「お金じゃない、奥出雲の協力が素晴らしい。おむすびが美味しい、なんといっても日本の原風景がある」と絶賛してくれました。日本の田舎は奥出雲で撮りたいと、それ以来6回のロケ地となり、交友が続いています。

自分の役割

 奥出雲は神話の時代からこの土地が特別の場所であることが語られています。そして、1400年に及ぶ、たたら製鉄による鉄穴流し跡は水田として蘇り、稲作と和牛飼育が営まれ、木炭生産で伐採した跡は蕎麦を栽培し、その山林は30年経つと元の広葉樹林が蘇るという独特の資源循環型の農村が形成されています。

 私がこの歳まで役割を与えられているのは、こうした奥出雲という特別な地域に育てていただいたおかげだと思います。年月と共にいろんな経験を積むことができて、今あらためて、ふる里の価値に気づく思いです。

 本質を求める時代を迎え、今全国各地、世界各地から奥出雲に訪れていただく方が増えています。ぜひ奥出雲のよさに触れていただけるよう、奥出雲多根自然博物館のスタッフと共にその役目を果たしたいと願っています。

(インタビュー ぬうびじょん 久保和夫)

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泊まれるミュージアム、奥出雲多根自然博物館