『三つの言葉 』 1989年 猪熊弦一郎 画 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵  C)公益財団法人ミモカ美術振興財団


 一般の主婦でありながら、自分ができることを、一生懸命、リスクも取りながら頑張っている方々がいらっしゃいます。今回ご紹介する井上保子さんもその一人です。さまざまな出会いから、自分の無知に気づき、その問題の解決に自分なりに取り組むうちに、「非営利型株式会社 宝塚すみれ発電」 というユニークな会社の社長になってしまった方です。
 「一人ひとりが考えて行動すると変わるんです」と、まるで人間発電所のように人の心に火を灯し、周りを元気にしている井上保子さん。彼女の生まれ育った兵庫県宝塚市を訪ねてお話をお伺いしました。

「一人ひとりが行動すると変わるんです」
   人の心に火を灯す人間発電所



非営利型株式会社 宝塚すみれ発電 代表取締役 井上保子 さん


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左)宝塚すみれ発電 代表取締役 井上保子さん、(右)宝塚すみれ発電 取締役 西田光彦さん


 井上保子さんに初めてお会いしたのは、ある女性経営者の会の忘年会でした。会の主催者は大のワイン好きにも関わらず、その日の乾杯が牛乳だったのに驚いたのもつかの間、「少しだけ彼女の話を聞いてください」と主催者の紹介で話を始めたのが井上さん。実は、乾杯で飲んだのは「低温殺菌牛乳」でした。

 低温殺菌牛乳は、免疫にかかわるたんぱく質がほとんどそのまま残っていて、カルシウムが吸収されやすく、お腹を壊しにくいなど、牛乳本来の美味しさを味わうことができる素晴らしいものです。その貴重な牛乳が飲めなくなる危機を消費者たちが救ったという話をされる井上さんの熱い想いに、筆者はついつい引き込まれてしまいました。プレゼンテーションが終わった井上さんに、低温殺菌牛乳の日本におけるパイオニアの佐藤忠吉さん(本年新春号で紹介)についてお話しをしたところ、「忠吉さんは神様みたいな存在」とさらに話が弾み、すみれの里宝塚での再会を約束しました。

 取材は、井上さんのご提案で「宝塚すみれ発電」の第2号、第6号がある、宝塚の高台に広がる大林寺の境内から始まりました。急斜面を上がり「振り返ってみてください」との言葉に促されると、眼下には宝塚市街地から大阪ドーム、あべのハルカスまで一望できる素晴らしい景色が広がっていました。「宝塚は人口約22万5千人。ここから北、3分の2の面積の山間部に3千人が住んでいて、それ以外がこの市街地にギュッと密集して住んでいるんですよ」と目をキラキラさせて説明を始めてくださいました。

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「宝塚すみれ発電」の第2号、6号発電所がある大林寺からの眺望
宝塚市街地から大阪ドーム、あべのハルカスまで一望できる



引き寄せられる支援者や専門家

 竹藪の小径を歩きながら「2号発電所の設置場所を探している時に、大林寺のご住職木下達雄さんが『お寺の敷地を貸しましょう』と言っていただいたおかげで、発電所を始めることができました」と話をされていると、目の前に342枚のソーラーパネルが出現。年間発電量は約5万キロワットアワー、約15軒ほどの住宅をまかなうことができ、有事用に非常用プラグも設置されているそうです。発電所入口には、木下ご住職が用意してくださったというピンクの文字の看板。

 発電所の説明を受けた後、ご住職にご挨拶をと、お寺へ行きました。突然訪ねたにもかかわらず、木下ご住職は、「井上さんは、バイタリティーのある頑張り屋ですよ。日本の反原発運動の牽引者の一人と言っても過言ではないです」と気さくに話されました。木下さんご自身も再生エネルギーを推進する、中川宝塚市長の後援会代表を務めるなど、さまざまな社会貢献活動をされている「宝塚すみれ発電」の心強い支援者のお一人。なんと長年メガネの三城をご愛顧いただいており、三城でお買い上げになった沢山のメガネを見せていただきました。

 次に向かったのが阪急逆瀬川駅から徒歩5分にある宝塚すみれ発電の事務所。その場所で、待っていてくださったのは、取締役で太陽光発電のスペシャリストの西田光彦さん。事務所も西田さんの会社に間借りをしている状態です。井上さんたちが太陽光パネルのことが解らず困っていたとき、『太陽光発電』という看板を見つけ、「あんな大きな看板を上げているから私たちの話を聞いてくれるのに違いない」と向かった先が、西田さんのところだったそうです。
 西田さんは、太陽光発電専門の会社の経営者で、以前から市民発電所にも関心があり「おもしろそうやなぁ」と言って協力者となってくれました。特定メーカーの代理店ではなく、すべての太陽光発電メーカーの特徴を把握している西田さんは、間違いのない機種選定において、大変大きな存在のようでした。
 木下さんも西田さんも、まるで自分のことのように井上さんの活動について話をしてくださったのがとても印象的でした。

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(右)大林寺ご住職 木下達雄さん

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ご住職が用意してくれた看板


真実を知り、行動へ

 井上さんが大学時代に「昼間に煌々(こうこう)と電気をつけるな」と言い、バチッと電気を切る原発反対の先生がいたそうです。1978年当時、小学校の教科書には「夢の原発、夢のエネルギー東海原発」と写真が載っていた時代。「自然科学概論」という名前に惹かれて受講し、そこで原発の本当の恐ろしさを知ったそうです。

 またある時アルバイト先で「あなた牛乳好き?」と聞かれ、「北海道濃厚牛乳大好き!」と答えると、牛乳の話をするので聞きにおいでと誘われます。行ってみると「ロングライフ牛乳の輸入反対」の集会で、この牛乳は日本に輸入してはいけないものだということを知ることに。
 さらに、大好きなバナナの話が聞けると誘われて行ってみると「プランテーションはいかに人を殺すか」という集会で、バナナを栽培している人が農薬の中に素手で手を入れていることを知り、それを食べていていいのか、と思ったそうです。

 色々な所へ参加する度に、自分が何も知らなかったことに気づき、行動を起こした結果、安心安全なものを共同購入する会に参加したり「原発の危険性を考える宝塚の会」の会員として活動。そして、2011年福島原発事故が発生後、すぐに起こした行動が「再生可能エネルギーでまちづくりを行ってほしい」という宝塚市への働きかけでした。2012年4月に宝塚市が新エネルギー推進課を新設。同年5月に井上さんたちは、「新エネルギーをすすめる宝塚の会」を立ち上げ、9月にNPO法人として認定をされました。


安全で美味しい牛乳を守る

 兵庫県下にいくつもあった酪農業協同組合もどんどん減少して、遂には一つになるほど酪農は危機に瀕しています。実は「氷上(ひかみ)低温殺菌牛乳」をつくってくれていた丹波市にある丹波乳業も経営危機に直面し、牛乳の提供が難しい状態になっていました。そこで、「氷上低温殺菌牛乳」を共同購入してきたメンバーが、2015年に丹波乳業を支援する一般社団法人「みんなの低温殺菌牛乳協会」を発足させました。

 そのメンバーとしても活動していた井上さんが、市民発電所の代表者として中古のソーラーパネルを設置して、自家消費発電で応援するアイデアを思いつきます。丹波乳業の社長に設置の提案をしたところ二つ返事で決定。そこで、設備投資にかかる費用300万円のうち100万円を低温殺菌牛乳協会がクラウドファンディングで募集したところ、趣旨に賛同する人から126万円ものお金が集まったそうです。15年使用した中古パネルでしたが、幸い新品と比べて全くと言ってよいほど発電量に変わりがなかっただけでなく、遮熱効果が予想以上に高く、冷蔵施設の電気消費量も軽減できたそうです。

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20年保障が間違いないものを徹底して選んだ、強化ガラスや緩まないボルトを使ったソーラーパネル


お金を出させてくれて、ありがとう

 発電所の建設資金は地域の人からの寄付や出資によるもの。「非営利型 株式会社」という法人名にも思いがあり、利益はすべて発電所の維持と運営資金に充てるために、配当はないことを前提に出資を募っています。先日、出資者のお一人が「お金を持って死ねないし、勝手に押しかけているので、出させていただいてありがたいのよ」と仰られたそうです。出資の募集が終わってからも「またやらないの、今度やるときは絶対声をかけてよ」と言ってくださる人も多くいらっしゃるそうです。

 資金集めにはどこも苦労することで、どうやっているのかと聞かれると「ただ、話すだけ。お金を出していただいて感謝されるなんて不思議ですよね。でも、それだけ、ちゃんとこのお金を生かさなければならないと思っています」と、力強く話していただきました。

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支援者に配布されるステッカー


マイナスを「0」にする挑戦

 宝塚すみれ発電の今後の展望について「宝塚にある甲子園大学フードデザイン科との共同研究を進める市民農園でのソーラーシェアリングや丹波乳業のふん尿を活かしたバイオガスなど、まだまだやれることはいっぱいある」と、話がつきません。

 一方で、ご自身については、「25年間新聞配達をやってきて、毎日配達を済ませれば新聞が全部なくなり、気持ちをリセットすることができたが、今はやることがどんどん増えるので、そのリセット感が懐かしいこともあります。
 自分が生きている限り、原発のとてつもない負の遺産を抱えていかなければなりません。このマイナスを限りなく「0」にリセットできるように挑戦していきたいです」と話してくださいました。


― 井上さんが挑戦しているのは、原発「0」にすることだけではなく、人々の心に火を灯し繋いでいくことかもしれません。私の心にも温かなものが芽生えたのを感じながら「すみれの里」を後にしました。

(取材/森 京子)