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現代の花咲じいさん

 
株式会社 福楽商店 
 代表取締役社長
  福楽善康(ふくら よしやす) さん

245_tanet03.jpg 皇居 桔梗門前にて

 東日本大震災は自然に生かされていることを改めて実感し、地球の命を考える時代に入ったことを学んだように思います。現在、全国各地にある樹木は大気汚染や異常気象などで、危機的状況にあります。貴重な文化遺産となっている銘木や、かけがえのない想い出の木を蘇らせ、現代の「花咲じいさん」と呼ばれている鳥取県倉吉市の福楽善康さん(71歳)にお話を伺いました。


樹木再生のきっかけ

 元々は家業で化学肥料・味噌・醤油などを扱っており、私は4代目でした。ある時、あまりにも化学肥料に依存して、生産性が落ちている農業に気付きました。何とかしないと、自分たちの仕事は将来なくなってしまうのではないかと思ったのです。
 大きな原因は土でした。土に構わず化学肥料に頼ってきた弊害です。化学肥料は使いすぎると土がダメになり、作物に病気が起きたり、生産性が落ちたりします。何とかしたい、土を再生する方法はないかと考えました。改善しようと思った時に見つけたのが土壌改良剤でした。

 35年前、東北大学の故星川清親農学部教授と出会いました。運命的な出会いでした。その方を訪ねたところ、私のような者は今までいなかったようです。研究に興味を持ち、偉大な先生との出会いに感謝しました。50ぐらいある先生の研究の一つに、土壌改良剤がありました。その改良剤は未知のもので、役に立つかどうか、その時はまだ分かりませんでした。
 この土壌改良剤は自然界から掘り出してきた有機物で、まだ科学的根拠がありませんでした。農業に使ってみようと研究は始まっていましたが、誰も実践はしていなかったのです。「じゃあ先生、私がやります」と始めました。若さでしょうかね。35歳の時で、元気もありました。「これに賭けてみよう」と大博打に打って出たわけです。


長男の朝顔

 先生から教えていただいた土壌改良剤は液体でした。改良剤は多くありましたが、液体というのは当時、聞いたこともなかったのです。改良剤を持ち帰り、妻とこんな会話をしました。

「この薬は魔法の薬で、たちどころに植物が元気になり花が咲くよ」
「それじゃあ丁度いいのがそこにあるわ」
「何が」 

 振り向くと、そこには朝顔がありました。小学生の長男が夏休みの宿題で持って帰ってきたものです。毎日水をやっていましたが枯れてしまいました。水のやり過ぎで腐ったのです。その朝顔に改良剤を使用してみたら、2~3日で葉が立ってきました。しばらく手入れをしていると、花も咲きだしたのです。
 ここに世界、日本の直面している問題があると思いました。土が固くなっていのは、化学肥料の使い過ぎなのです。そこに土壌改良剤を与えて土を再生することで、植物が根を出します。土は有機物です。牛馬の堆肥は1年でできますが、土は億年もかかってできたもので、いわば鉱物資源の石油と同じです。
 植物が育つのには5つの条件がいります。水・養分・光・温度・酸素です。植物は根に酸素が必要です。酸素を取り入れる、これが再生に一番大切なことです。朝顔の出来事がなかったら、私はこの仕事をここまでやっていなかったでしょう。


農業から樹木へ

 その後、対象は農業から樹木に変わりました。なぜかというと改良剤が売れなかったからです。理解してくれる人がいませんでした。農業の10年間はかなりお金を投入しました。株を売り、預貯金を切り崩して借入をしたりもしましたが、これ以上は厳しいと思う時が多くなりました。事業は楽なものではなく、年とともにお金もなくなってきます。それでも私は、朝顔の一件があったので今まで続けることができました。

 ある時、農業から樹木に変わるきっかけがありました。友人から「そんなに良いものなら家の松を再生してくれないか」という話です。平成4年からはじめ、半年後にその松が蘇ったのがハッキリと分かり、1年後には綺麗に生き返っていました。丁度、現皇太子殿下のご結婚式の日でした。 そこで植木にも通用すると確信しました。そう考えると10年間やってきた農業は無駄ではありませんでした。農業で培ったノウハウという、私の中に確かに残るものがあったのです。助かるということや、成功しても手放しで喜んでいられないということ。管理がいかに大事かを学びました。それらを気付かせてくれた木には敬意を表しています。念ずれば実現するということを実感しました。

 その3年後、鳥取県の大山で昭和天皇が植樹された松のお手入れ式があり、現皇太子殿下が来られることになりました。県からの依頼でその日のために手入れに行きました。何か縁を感じます。そこが樹木再生の仕事のスタートになりました。生活は苦しかったですが、次第に私の話を聞こうとする人が出てきました。地元中心に口コミで仕事をして、要望があれば全国どこへでも行きました。そして第2のチャンスが巡ってきました。

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第2のチャンス

 平成9年に、京都の仁和寺から次のような電話がありました。

 「あなたのことを鳥取出身の執務総長から聞いています。お寺には松が多くあり、それが枯れかけている。その松を再生してほしいので、すぐに来てほしい」

 すぐに行きまして松を見ると、枯れていました。それから3年間京都へ通って手入れをし、松はほぼ再生しました。それが転機となります。ある日、仁和寺で私が再生した松のTVの生放送取材があり、参加しました。そのTV番組を見た大手ゼネコンから、東京でハナミズキの木の仕事を依頼されました。関東での初仕事です。現在関東では約800カ所で仕事をしていますが、最初は54歳の時でした。全ては人と人の出会いから始まり、導かれた気がします。


心に残る再生樹木

 いろいろと樹木の再生をしましたが、印象深いものがあります。その1つは三朝温泉の三朝神社の「むくの木」です。樹齢750年の木ですが東京に出る前に治した木です。葉が出ておらず切ろうとされていたのですが、私に相談があり、総代の方から「あんたしかいないからやってください」と言われて、すぐ取り掛かり今は治っています。次は立川市にある昭和記念公園の大ケヤキです。多くの人が木陰に入り、その重さで土が固くなり、酸欠になっていました。3つ目は隠岐の島の八百杉です。それと作家の佐藤愛子さん宅の桜の木も思い出深いです。桜が蘇り、佐藤愛子さんも元気になられた気がします。
 現在は、日本盆栽協同組合副理事長の加藤崇寿さん(蔓青園5代目園主)と一緒に、盆栽を商品化しています。盆栽は既に世界で注目されており、日本文化の「わびさび」を表現しています。盆栽を育てて世界に輸出し、世界の人に見てもらう。日本を土台にして世界に出ていく目標を持っています。盆栽は世界に通用すると思っています。

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蔓青園4代目園主 加藤初治さんと福楽さん(右)。加藤崇寿さんは初治さんの長男で5代目となる。


何事も諦めない

 高齢になりましたが後継者を育てていません。簡単にはできないというのもありますが、やはりこの仕事は好きにならないとできないものです。樹木が好きな人がいて弟子になると言ってくれる人がいるといいのですが、一人前になるのに最低10年はかかります。私もまだ分からないことが多くありますよ。
 根底には、いつも長男の朝顔の件があります。肥料も水も与え過ぎると根が枯れます。農業も樹木も酸欠だったのです。植物には酸素が要るというたった一つの信念があったからこそだと思います。そして、樹木が枯れても諦めずに手入れをしていると再生するように、何事も諦めないことが大切です。若い人が志を立てて頑張っていますが、経済的な裏づけがなければ、つい諦めてしまいます。苦しくてもその志を持ち続けることです。そうすると周りが少しずつ変わっていきます。



 株式会社 曽根造園 専務取締役 平木 信行 さま より

 京都嵐山、大本山天龍寺境内の世界遺産曹源池庭園内にある樹木、主に枝垂桜・赤松が踏圧被害などで危機的な状況にありました。私も試行錯誤して樹勢回復を試みましたが、思うような結果がなかなか出ないでおりました。
 そんな折に福楽さんとの出会いがあり、土壌改良剤を使わせていただき、その直後から結果が出始めました。今では見事に樹勢を回復しております。現在では天龍寺はもとより、東山にある銀閣寺でも同様に樹勢回復工事を行っております。

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(インタビュー 久保和夫)