三城はこれからがもっと面白い ―創業90周年を迎えて―

三城はこれからがもっと面白い ―創業90周年を迎えて―

株式会社 三城ホールディングス 代表取締役会長 多根 幹雄

252_tanet01.jpg

 皆さま新年おめでとうございます。三城は今年の10月10日で満90歳になります。日本の企業の平均寿命が23年半、アメリカではさらに短くて15年と言われていますから、こんなに長く皆さまにご愛顧いただき本当にありがたい限りです。これだけ長期に存続するためには、数えきれないほどの多くのお客さまと熱意のある社員、そして様々な方のお力添えなしではとても実現しなかったでしょう。本来はそういった方々への感謝の意を縷々記すべきなのですが、まずは祖父 良尾と父 裕詞の話からご紹介することをお許しください。


世界大恐慌を機に創業

 創業者だった祖父は、島根県奥出雲の出身でした。曾祖父は広島県の県境から流浪してきた神主でしたから田畑もなく、随分と食べるのには苦労したようです。祖父は大人になって兵庫県姫路市に出てきて、当時としては最新鋭の紡績工場で働いていました。

 しかし1929年に世界恐慌が起きて、会社は従業員のリストラをしないといけない状況になります。幸い退職金をたくさんもらえるというので、祖父は会社を辞めて、姫路の片隅で小さな時計屋を創業しました。職場結婚した祖母と2人で小さな店を持ったのです。1930年のことでした。翌年、ふたりの間に私の父が誕生します。


時計店からメガネ店に

 幼い父は、よく店番をしていたそうです。その時お客さまは「ぼく、一人でお留守番しているの?えらいね」と優しく声をかけてくれたそうです。そのことが、お客さまを大事にしようという経営理念のベースになったといいます。当時の時計は高級品。時計を買いに来られるお客さまは結婚や就職のお祝いに買いに来られるお客さまが多いのです。ですからお店に来られる時はとても幸せそうな顔で来られます。しかし、当時は偽ブランド品も多い時代、お客さまは疑心暗鬼です。来店のときとは打って変わって、帰るときは「これは本当に大丈夫?」という不安な表情になってしまいます。

 実は時計屋のすみっこにメガネも置いてありました。当時、メガネをかけるということは、自分のハンディキャップを認めることで、嬉しい体験ではありませんでした。見えないのを我慢して、我慢して、人生の終わりのような悲しい顔で、ついに決意してメガネ屋に来る。ところがメガネをかけると、今まで見えなかったものがはっきり見えるのでビックリして、とても嬉しい気持ちになるのですね。表情がパッと明るくなって、ニコニコと帰られる。そういう経験が、のちにメガネ専門店に業種替えするきっかけになったようです。

252_tanet03.jpg
1930年 兵庫県姫路市に正確堂時計店を創業


時代の変化を先取り


 祖父はある種、独特の才能があって「先を読む」ことが得意な人でした。当時のメガネ店は、ガラスのショーケースにメガネを入れたままでしたので、いちいちお願いしないとメガネを手に取ることができませんでした。そこで、彼は様々なオープンディスプレイを考案、お客さまが手に取って自由に掛け比べることができるようになり、大好評でした。

 また、1970年代の終わりから突然、田んぼの真ん中にどんどんお店をつくりだしたのです。商店街だと、空き店舗がなければ出店できませんが、郊外ならいくらでも空き地があったので、店舗数を増やし続けました。当時は「店を出すなら商店街で」という時代ですから、「そんな田んぼの真ん中に店をつくって、いったい誰が来るのか」と笑われたものです。しかし彼は当時のアメリカの状況などを見て「日本も将来、必ず車社会になる。それなら駐車場のある郊外の店がいいだろう」と考えたのです。

252_tanet02.jpg
1973年 パリ・オペラ通りに、海外1号店をオープン


他にない創造

 父も祖父に負けず、独自の先取りが大好きでした。例えば、レンズの表面加工を行うコーティングマシーンをお店の入り口に設置。反射防止加工のレンズを即納できる仕組みをつくりました。また、1973年にいきなりパリに店を出したのも、かなり大胆な作戦でした。当時は東京の人にとって関西の商売人は「口先でうまいことを言って、売りつけられる」という印象を持たれていたような時代です。そこで店の名前もイメージも変えようと考え、パリ・オペラ座近くの一等地にメガネ店を出したのです。当時はまだほとんどの日本人が海外に行ったこともないころ。まだまだ小さな地方のメガネチェーン店としては相当勇気のいる決断だったと思います。その後、店名も「パリミキ」にし、首都圏に逆上陸、関東での本格的な店舗展開を始めます。

 90年代になると、父は中空の18金製フレームを開発。より軽く、しなりがあり、しかも安いということで、大ヒット商品になりました。また、「人はそれぞれ顔が違うのに、なぜ大量規格生産のメガネしか提供しないのか」と考えて、人の顔をデジタルデータとして取り込み、メガネを人工知能でその人に合わせてオリジナルのデザインをするというシステムを創りました。まだコンピューターというと「計算機」という感じで、デジカメもまだ世の中に出たばかりの頃でしたので、当時としてはかなり注目を浴び、アメリカの超人気番組「オプラ・ショウ」でも紹介されたりしました。

252_tanet04.jpg
ミキシムデザインシステムのフラッグシップであったパリ・ルーブル店。(1994年~2005年)
フレームを置かないメガネ店として話題に


252_tanet05.jpg
1994年 人工知能を搭載した世界初のメガネデザインシステムを開発


資金難の中でも貫いた経営理念

 私が入社した当時、父は社員に2つのことだけを言っていました。「会社は損をしてもいいから、お客さまのことだけを考えなさい」というのが1つ。もう1つは「お客さまがご家族との夕食の席で、話題になるような接客をしなさい」。約束事はこれだけでした。あとは一切、マニュアルがなく「自分の頭で考えなさい」と言われたのです。売り上げのことなど、ひと言も出てこないのです。

 すべての経営者は似たような経験があると思いますが、父も資金繰りでは随分と苦労をしていました。ある時、珍しく雪の積もった東京の街を父と歩いていたのですが、普段は交通量が多い、騒音の激しい道路がとても静かだったのです。それで父に「今日は静かですね」と言ったら、父は「雪が降るとお客さんが来ないから、売り上げが立たない。手形の期日が来ていて、落ちないかも知れないと心配したことを思い出した」と言うのです。親子でまったく違うことを考えていたのですね。父は資金繰りの心労から十二指腸潰瘍の手術までしたことがありますから、まさに切実だったのでしょう。

 そういう状況下でも、お客さまのことだけを考えろと言ってくれた。それは素晴らしかったと思うのです。実際、社員もイキイキしていましたし、ありがたいことに、お客さまにも応援団のような方々がたくさんいらっしゃいました。


株式公開とデフレの深刻化

 そのような状況が変わってきたのは、会社が株式を店頭公開した1995年以降のことでしょうか。公開すると株価の値段は毎日変わりますから、父もそちらのほうに一喜一憂するようになったのです。すると会社の雰囲気がどんどん悪くなってきました。売上や利益を追うようになり、社員の評価も個人売上で決まるようになると、社内が殺伐とした雰囲気になっていきました。

 さらに、目先の数字を追う中で、時代の変化、お客さまの変化が見えなくなっていきました。特に日本はデフレが深刻化したため、低価格な商品や、サービスに対するニーズが急激に高まります。一方、製造分野でもグローバリゼーションが進展し、特に、2001年に中国がWTOに加盟して以降、メガネの分野でも安い中国製をベースとした安売り店が誕生し、お客さまの支持をどんどん集めていきます。そのような状況下でも、三城は18金フレームや高級化粧品の販売に拘り続けていきます。父があれほど執心した業績も株価も、すっかり落ちてしまいました。


大量生産時代が終焉へ

 今となっては、モノがなかった時代をイメージするのは難しいくらいですが、そもそも今のような工業化社会がスタートしたのはいつごろでしょうか。イギリスで産業革命がおこったのが18世紀中旬、かの有名なジェームスワットが蒸気機関を発明したのが1765年でした。そのころから数えると、250年以上にわたり世界は大量生産、大量消費によって、モノや食料だけでなく、教育、医療や金融などの規格化されたサービスも、安く供給する社会を目指してきたことになります。

 そしてここ30年は、グローバリゼーションとインターネットによってそのことがさらに加速し、日本をはじめとする多くの先進国では「いつでも」「誰でも」「どこでも」大量生産でできたモノやサービスを、安く手に入れることができるようになりました。最近、あの消費大国アメリカでも片づけの「こんまり」さんの本がベストセラーになったり、巷でも「断捨離」や「終活」がブームになったりしています。かつては、家にどんどんモノが増えてくると幸せな気持ちになれたのが、最近は家からモノがなくなるとスッキリして、気持ち良くなる時代になって来ました。


「合わせる」時代へ

 それでは、次の時代何がもとめられるようになるのでしょうか。それは規格統一されたものではなく「その人だけ」「その時だけ」「その場所だけ」にピッタリ合ったより質の高いモノやサービスでしょうか。あるいは時間とともに価値が上がりヴィンテージになるホンモノかもしれません。それに最近言われているようなコトがあります。個人的には今、人々が求めるものは「トキメキ」と「安心」だと思っているのですが、それを満たしてくれる「自分に合った」サービスやコトかもしれません。

 三城は、もともと今までにない、他が真似できない付加価値をお客さまに提供して、お客さまを歓ばせたり、驚かしたりするのが得意で大好きです。しかも大量生産の時代にありながら、「お一人おひとりにお合わせする」ことを目指してきた企業です。そういった意味で、ようやく本来の三城らしさが求められる時代がいよいよやってきたな、と思っています。


いよいよ始まった三城の挑戦


 幸い、澤田将広が社長に就任して以降本来の三城らしさが戻って来ました。アメリカの黄金の50年代やパリの最盛期ベルエポック時代の世界観を持ったお店づくり、木の香り漂うコーヒーショップを備えたログハウスタイプ店舗、福井県鯖江市の自社工場を最大限に活用したホンモノの「MADE IN JAPAN」のフレーム、楽しくてわかりやすいお客さまにお合わせした視力検査「ビジュアルライフケア」、そして今年には、今まで一週間以上かかっていた遠近両用レンズを翌日にはお渡しできるサービス(当初は関東限定)が始まります。さらに、修理工場を傘下に収め、お気に入りのメガネを長くお使いいただくための、質の高いアフターケアができる体制を整えました。

 「時代の変化の中で、お客さまは何に困られ、三城に何ができるか」を常に考えながら、お客さまや、地域や、時代に「合わせ」ていく。社員一人ひとりの可能性や文化資本を引き出しながら、他にない、他の企業ができない創造で、お客さまに「驚き」「トキメキ」「感動」を提供し続ける。そんなお客さまも社員も大好きな三城を、皆さんと一緒に創り上げていきたいと思っています。

 まだまだ新しい三城の挑戦は始まったばかりです。これからの三城にご期待ください。

252_tanet06.jpg
イスラエルのシャミール社と提供して、遠近両用レンズの24時間提供をスタート

252_tanet07.jpg
新たにグループの一員となった修理会社の(株)オプトメイク福井

252_tanet08.jpg
カフェを充実させた最新のログハウスタイプ店舗(宇都宮陽南店)