「ホスピタリティと資本経済」の時代

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「ホスピタリティと資本経済」の時代

哲学者 山本哲士 さん

山本哲士さんと初めてお会いしたのはスイスのジュネーブで、今から15年以上前のことでした。当時は正直お話の内容が難しく、十分理解できなかったのですが、時代も三城の状況も変化してきた今日、ようやくその意味や奥深さを少しは理解とともに共感ができるようになりました。

山本さんは世界の知の深い見識を基に、日本人が本来持っている日本独自のものの見方、感じ方、生き方にフォーカスし、新しい時代、新しい世界に適合した社会のデザイン、経営の在り方を提言しようとされている哲学者です。

今回はそのほんのさわりだけですが、山本流の世界観を感じていただければと思います。
(インタビュー 編集長 多根 幹雄)


「サービスと商品」の時代から「ホスピタリティと資本」の時代へ

多根
グローバリゼーションやインターネットの普及で商品やサービスがさらに安く提供できるようになり、発展途上国はともかく先進国では、ほとんどの商品やサービスは行き渡るようになりました。

一方、貧富の差も拡大し、グローバリゼーションの限界も見えてきました。そして、世の中の流れが変わり、新しい価値が求められる時代になって来ています。ようやく先生のホスピタリティの理論、考え方が受け入れられる時代になってきたのではないでしょうか。

山本
「ホスピタリティ」と「サービス」の違いを考えるときに一番大事なポイントとして、大きな時代の変化を考えることです。その大転換とは、「サービスと商品」の経済の時代から、「ホスピタリティと資本」の経済の時代に変わるということです。

「サービスと商品」の経済の時代というのは、常に何かが欠如していました。衣食住が足りない、教育が足りない、医療が足りないなど。そういった欠如を充足する形で営まれた経済です。そこで、均一的な形で大量生産で同じ物をより多くの人により安く提供するということになりますから、社会が均一化されて、均一の空間になっていく。さらにこの経済の特徴は、最低限のものをより多くの人たちに提供するという仕組みの前提を持っています。

例えば洋服はL、M、Sといったサイズ別に、食品はイスタントやパッケージ的な食品に変わる、住居もLDK、3DK、4LDKといったようなLDKモデルの住居、ハウジングに替えられていく。それと同様に規格化された「サービス」が提供されました。購買意欲をかりたてるため、アフターケアを含めて「サービス」提供の世界が創り出されて行きました。

ところが、ある程度「商品」や「サービス」が行き渡り充足されてきたことによって、実際に商品が売れなくなっていく。そしてコスト低減の競争に追い込まれ、さらに同じものの部分的な差異化、差別化をしながら経済再生産を図るということをやり続けています。

そうした消費商品の経済が行きつくところまできた、ということです。その中で何が変わっていくかというと、非常にシンプルなことなのです。「それぞれ個々人にあった、その幸甚にふさわしい、しかるべきものを提供する」という経済の時代に変わってくる。私が持っているもの、隣の人が持っているもの、全部違っていて、AさんBさんCさんそれぞれにとっての至高で最上で最適なものが提供される。そういった経済の仕組みに変わりますが、もうその兆候はあちこちで出始めています。でも、認識がしっかりしていない。そこで提供されているものが「ホスピタリティ」と「資本」という考えになります。

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それからナショナルな、どこに行っても同じものから、それぞれの〈場所〉ごとの文化や技術が生かされてくる、蘇ってくると言えます。〈場所〉というのは、生態的な環境、歴史や文化も含めた生活住民の環境の経済です。ここで大事なことは日本文化の見直しです。日本文化の先導的な役割を場所環境の中に求めて、場所環境の多元性のなかからそれを営んでいく。

例えば着物の紬でいうと「結城紬」と「大島紬」は違います。生活の道具も場所によって違います。そういった場所ごとの伝統文化やその土地で崇められてきた神さま=「国つ神」の存在、それは場所の人たちの「タマ(魂)」の現れなのですが、それらをきちんと踏まえることが必要になってきます。


多根
三城も元はレギュラーチェーン店ですからどこに行っても同じような店を沢山作っていました。しかし、私どもの渋谷店はレギュラーチェーン店の近代的で合理的な大量販売をやった仕組みを全て否定して、渋谷なら渋谷のお客さまに一番合わせた店を作ろうとして成功しました。
神さまっていう存在は、以前もおっしゃっていた通り、要はそこの住民の方の心だということですね。なので、そういう意味で渋谷店が成功したのは、渋谷のお客さまの魂、心に合わせたから結果として成功したのでしょう。

社長の澤田が面白い言い方をするのですけど、お店を創ったり改装したりする前に実際その場に行って、どういう店を創って欲しいかということを、その店舗や場所が語ってくれるのを聞きに行くのだって言い方をしていました。どういうお店にして欲しいかとその場所のお客さまが思っているかを感じながら、それを形にしていくってことですね。

山本
そうですね。横浜のランドマークもとても先端的な建物ですが、三菱地所はきちんと場所を調査して、場所に合うように作っています。しかし、汐留は場所を無視してゾーニングだけで作ってしまった。同じ会社でも違ってしまう。そこにはホスピタリティを考えていく上での基本的な、主体と客体が分離していない「主客非分離」「述語制」「場所」「非自己」といった大事な概念が反映されています。近代で普遍化された「主客分離」「主語制」「社会」「自我」の設計原理とは違う、実は日本が非常に深く有している文化の原理です。

「箸」と「フォーク」、「風呂敷」と「カバン」、「下駄」と「靴」とを対比して比べてみてください。日本のそれらは対象・相手側に合わせますね。しかし、欧米のそれは主体の側の行動に合わせているのです。

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述語だけで思考する日本人

多根
この雑誌は「あたらしい世界に、日本人として」というテーマですが、日本的な価値観を世界の為に広める時代に来ていると思っています。またそれが世界で受けられ、求められる素養みたいなのがある時代かなという気もするのですが。そういった点では何があるでしょうか。

山本
まさにそれが述語性/述語制です。西洋の人たちが近代の中で主語化し客観化したため損失してきたものを、彼らは日本に感じとっているから日本は素敵だと言っているのです。日本語にはもともとから主語がありません。「主語がなくてどうやって思考ができるのか」、「日本語は論理的でない、情緒的だ」とよく言われますが、とんでもない、はるかに論理的です。

述語だけで感じ思考しているのは、対象や相手を非分離にキャッチしているのです。「あなた」「お前」「貴様」「貴殿」「君」など相手との関係で呼称が違いますね。尊敬や謙譲を論理化しているのですが、これは人称ではない主語でもない「代名詞」でもない、「提示された」ものごとの関係状態です。

英語は「you」しかないですね、これは主語であり人称代名詞です。「落ちる」も「これを落とした」ではなく「落っこちた」と言いますよね。英語は第三人称にsが付くくらいですが、仏語では人称でまた時制で動詞が変化しますが、日本語では「私」も「あなた」も「彼」も、「行く」で、同じですね。落っこちるような関係の世界に、自分が置かれたということです。

おのづから「然(しか)る」か「然(しか)せらるる」のです。「他に然する/然さする/然せらまた「物を然する」のです。これが動詞の変化になります。人称からの変化活用ではないですね。さらに、日本語は形容詞が変化しますね、ものごとの様態・性状が変わるからですが、英語や仏語は変化しません。

そこは曖昧ではなく、欧米人が主語・主体を確証した時に切り離してしまったものを、全部背負って論理的に物事をなしているのです。英語も元は主語などなかった。なのに、近代からの主語の論理が入っているから、主語に従属するだけの述語になってしまい、他の関係がたくさん関与しているのに、分離して考えないように関係しないようにしています。

でも、どこかでいい加減でごまかしているように感じてしまうものをまだ持ってはいます。主語のない日本語を日々話しているわけですから。しかし、認識では主語だと思ってしまっている。間違いを認識して行動してしまいます。実は日本人が成している論理は凄いのです。助詞や助動詞で言葉を繋げていきます、しかもわずかな格caseに集約しているのです。

京都で茶筒を扱っているお店があって、その茶筒がスーッと入るのです。「どうしてそんなに上手く入るのですか」と聞くと彼は「いいかげんだから」と言いました。それで「良い加減なんだ」とわかったのです。「良い加減」なのに「いいかげん」だとデタラメだと意味がひっくり返ったときに、述語言語から主語言語に切り替わっている。客観言語になってしまった。

オランダ語を江戸時代に翻訳した時、明治期の英語翻訳も同じ手法をとったのですが、単にまず日本語で名詞を並べるのです。 I am a boy だとすると「私、少年」となりますが、どういう関係になるかは、それなりに意味理解できるので「『私』が『少年』なんだな」と翻案します。そして私と少年をくっつけるために「我少年なり」のように助動詞で意味づけしました。

その後、ヨーロッパの近代に生まれた「主語と述語は一致する」という概念が入ってきた(元はアリストテレスの命題形式なのですが、近代でbe動詞と重ねて洗練されました)。そして「我少年なり」が「我は少年なり」と「は」が入ってくる。この瞬間に日本語は大転換します。当時の翻訳の格闘は、文語を口語体に転じる言文一致運動と並行して、非常に面白いです。

「ロビンソン・クルーソー」は江戸期から翻訳されているのですが、第一人称として翻訳されるのは明治期からです。「罪と罰」やルソーの「告白」。「小公子」や「十五少年」など児童文学。「花柳春話」の情欲物。これらが日本をひっくり返した根本だとわかっていますが、詩や和歌の方でも進んでいく。主語で皆迷っています。他方、「写生文」が客観的であるかのように多産されます。「た」「だ」「です」「である」へ助動詞が全て変わっていきます。

ある時、お茶を立てる体験をしたのですが、私のは泡が綺麗に立ちませんでした。お茶の先生から「山本先生は主語的なものを批判しているじゃないですか」言われて気付きました。

多根
自分の意志で泡を立てようとして、主語的にやっていると。

山本
ええ、これほど主語を自覚して批判している自分でさえ、体がそうなってしまっているのです。とても根深い問題なのです。でも、日本の職人さんたち、武術、かつての美術、皆「述語的」な技術であって、主語的技術ではないです。客観表現や客観化も、主語的技術とセットになった産物なのです。


無から有を生む 個人の文化資本

多根
もう一つお聞きしたいのが、文化資本の話です。これもある面ずっとグローバリゼーションの中で効率とかお金のことばっかりに関心が行き、ほぼ死語になっているというか...。ある面、文化資本、会社だけじゃなくて個人の文化資本もすごく大事だっていう話ですよね。

考えてみたら渋谷店が再生したのも、社長の澤田個人の文化資本のお陰のようなものなのです。三城には3千人以上の社員がいますし、お客さまも含めてもっと沢山の文化資本もあるかもしれません。本来は1人ひとりが無から有を生み出すポテンシャルを持っている資本をお持ちです。これを活かすことができれば、今までにない凄い画期的な経営学が生まれるのではないでしょうか。


山本
そう思います。かつては「商品」生産の統括をする上で物的な最大利益を効率的に生み出すためには邪魔だったのですよ、労働者が余計なことをするのが。だから必要な時間、与えられた必要な労働を、自分を押し殺してこなしてくれればよかった訳で、それは初期の産業経済の前提ですよね。だけど消費世界がこれだけ浸透してものが行き渡った世界では、個人がそれぞれのライフスタイルを個別に持つ状態が可能になってきています、3千人の個人資本がやっと活かせる段階にきている。

だから3千人の個人資本というのはすごい資本ですよ。ただし、3千人の資本を有機的に動かす組織体を高度に組まないとバラバラになってしまいます。資本は、象徴資本、想像資本、身体資本、言語資本、環境資本など多様な資本です。固有に場所に応じて絡み合っています。非常に優れた新たな「繋がり」資本の統治で、その3千人の多様な個人資本が活きる新しいマネジメントを作り上げることです。成功した会社は実はそれに近いことをやっているんですけど、自覚していない、認識がないだけですよね。もともと、資本があったから商品経済が可能になったのに、多くの企業がそれを忘却しています。

私はパリミキさんは、そんな資本経済マネジメントができそうだという感じがしています。視覚、色覚を含んだ最適化感覚環境の資本経済が可能な企業だと思います。それには、一人一人の文化資本を生かすべく、新たな「知的資本」を「情緒資本」とともに各人がもって、また企業体自身が文化資本をコアにした諸々の資本経済を進めていくことです。

澤田社長は、その契機を成功的な実現へと開かれた、そこには「意味されたこと」だけではなく「意味すること」の多様な可能条件が実際に含まれています、それを知的資本へ組み上げてイノベーション・マネジメントへと構成することだと思います。世界で、初めての、「世界一のパリミキ」になりうると思います。

それには、「概念経済」と私は言っているのですが、新たな知の体系の「知的文化資本」を領有していくことです。「所有」とは主体が持つことですが、「領有」とは相手側、資本側にもたれる述語的なことです。世界的に1960年後半から70年代前半に知は大転換しましたが、日本はそこをしっかりとつかんでいません。ですから海外で高度な国際的なマネジメントを学んでも地盤の学術転換をつかんでいないから表面的な処方をしているだけになっています。

また自分たち日本の文化資本の述語制を掴み得ていません。それをなす実際の潜勢力がパリミキには備わっていると思います。自らのアクションにふさわしい知的資本をしっかりと領有して、感覚環境世界を場所開発市場にしながら活用していくことです。

多根
ありがとうございます。先生の「ホスピタリィと資本」の話を一部の社員にしていただきましたが、この話を社員がいきなり聞いてもスッと入ったのは、もともと三城はマニュアルがなく「サービス」という概念がなかったからだと思います。我々がやってきたのは先生のおっしゃる「ホスピタリティ」そのもので、先代から社員が言われたことは二つだけでした。

「お客さまのことだけを考えて、会社は損してもいい」ということと、二番目が「お客さまが晩御飯の席で、今日のことが話題になるような接客をしなさい」。あとは自分でお客さまにとって一番いい方法を考えろという風に言われていました。マニュアルは一切ない会社で、だからこそホスピタリティというものがスッと入ってくる。そこには資本もあったということだと思います。

一方で、先生も仰っていたようにホスピタリティだけでは駄目で、サービスもきちんとしなければいけないですね。

山本
ええ、全く違ったものを共存させるにはそれなりのノウハウが必要です。そういう意味では、むしろサービスマネジメントは欠如しているのかもしれませんね。でもサービスのルールを前面に出してしまってはダメです。個々人がサービスのルールを理解しつつ自分へ秘めて、ホスピタリティでお客さまに接しなければいけません。

多根
そうですよね、それは思います。どっちが大事だからとかではなくて、両方大事で、特にこれからの時代はホスピタリィが本当に重要になっていく。ただホスピタリィを活かすためにもサービスの充実が大事ですね。そういったことが明確にはっきりと見えたので、非常にありがたいと感じています。

本日は貴重なお話をありがとうございました。


■山本哲士(やまもと・てつじ)
1948年7月10日、福井県生まれ
横浜国立大学教育学部卒、東京都立大学人文科学研究科教育学専攻博士課程修了。
1975年よりメヒコCIDOC(国際文化資料センター)へ遊学。
帰国後、国学院大学、相模女子大、立教大などで非常勤講師経て信州大学講師となり、後に同大学の助教授を経て、教授に就任。
2008年3月、大学に見切りをつけて退職、自らで高等学術研究所を創設し、国際的学術の研究生産活動をしている。著書及び編集・監修の本・雑誌は、200冊を超える。

1986年「季刊iichiko」研究・編集ディレクター
1990年 文化科学高等研究院(EHESC)ジェネラル・ディレクター
1990年 東京デザインネットワークアンカーマン
2000年 スイス・ジュネーヴにおいて国際学術財団「F・EHESC」の設立に参加してジェネラル・ディレクターに就任
2005年「国際ホスピタリティ研究センター」を設立
2007年 東京芸術大学客員教授(~11年)
2013年 「国際ホスピタリティ研究センター」を「ジャパン・ホスピタリティ・アカデミー」へ改組、ジェネラル・ディレクターに
2017年 「文化資本学会」設立、学会長
2019年 財団「日本国際高等学術会議」を設立、理事長