一度きりの人生を楽しみたい

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一度きりの人生を楽しみたい

 
株式会社 石見銀山生活文化研究所 
 代表取締役所長

 「登美」デザイナー  松場登美 さん


 島根県大田市にある世界遺産石見銀山。昔ながらの家並みがあり、優しい人々と自然にあふれています。16世紀の大航海時代、ヨーロッパからの冒険者たちにより石見は世界的に有名な町でした。ここで産出する銀は世界に輸出され、当時の経済の枠組みに加えられていました。しかし閉山後は過疎の一途を辿りました。この町で10軒の古民家を再生し、ライフスタイルショップ「群言堂」や宿「他郷阿部家」を営み、これからの生き方を発信しておられる松場登美さんにお話を伺いました。


ヒューマンスケールの町

 石見銀山は夫の大吉の故郷でした。夫とは名古屋で出会って結婚しましたが、長男だった夫はいつも「いつか島根に帰りたい」と話しており、私もその覚悟は持っていました。実際に帰るまで、夫から話を聞く度に想像を膨らませて「きっとすてきな所なんだろうなあ」と思っていました。帰郷は夫が28歳、私が32歳の時でしたが、自然とここに住んでみたいと思いました。
 鉱山閉山後のこの町は過疎高齢化の一途をたどる町でした。今ほど町並みも整備されておらず、廃屋が立ち並ぶ風景でしたが、私は「なんてすてきな町なんだろう」と思いました。なぜそう感じたのかと考えると思い浮かぶのは「ヒューマンスケール」という言葉です。人間的な規模感といいますか、車社会でない時代の、人がすれ違う時自然と会釈をするような道幅など、町全体がヒューマンスケールという気がしました。

授かったものは自分のものになる


 この町に嫁いだ時、夫の親戚に「草の種は、たとえ落ちたところが岩の上であっても、そこに根をはらなければならない」という大変厳しい言葉をいただきました。しかし、そこが厳しい岩の上なのか、自分を育ててくれる豊かな土壌なのかは、心の持ちようだと思うようになりました。そしてここならやっていけると思いました。逆境に強いという生まれ持った性分が発揮されたのでしょう。
 私の母は無学な人でしたが、信仰心の強い人で「授かり」という言葉をよく使っていました。無理に奪ったものは誰かに奪い返されるけれど、授かったものは自分のものになるとよく言っていました。私は、ここは自分が授かった場所だと思いました。夫も、仕事も、自分に授かったものなのだと思っています。
 母はとても努力家で、事業を起こしてよく働く人でした。その過程を見て育っていますので、働くことを辛いと思ったことがありません。ただ、自分の力ではどうにもできない「時代の力」があり、それとの闘いや葛藤は苦労でした。しかし、苦労は過ぎてしまえばむしろよい想い出になります。振り返ってもあまり苦労と思いませんし、逆にそれがエネルギーの元になりました。そのような意味では、私は逆境を好んで生きてきたとも言えると思います。昔と比べると今の若い人は恵まれていて、苦労する経験がそんなになかったり、あまりその価値に気づいていなかったりするのかもしれませんね。

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昔ながらの家が多く残る大森の町並み


発展だけが幸せではない

 石見銀山が世界遺産になろうとしている時、本当にその価値があるかどうか、私たち夫婦にはよく分かりませんでした。当初、島根県は銀による経済意義を強く押し出していましたが、その時点ではまだ評価が低く、その後、銀生産を取り巻く当時の環境が良好に残され、山を守りながら自然と共生して操業していた点、また優れた文化的景観を形成していることで、大逆転で世界遺産になりました。鉱山が近代化に乗り遅れたからこそ周囲の環境が守られ、急激な経済発展をしなかったからこそ、この町並みが残ったのです。そういった意味では、発展だけが人類の幸せではないという象徴たる世界遺産であると今は思います。
 日本が迎えた人口減という現象は、もしかしたら役割があるのかもしれません。人口減を悲観するのではなく、人口が少なくても、経済発展が緩やかでも、こんなにも幸福な場所があることを世界に知ってもらうのは、意味のあることではないでしょうか。私は他の国のことはあまり知りませんが、日本の文化は素晴らしいです。質素、倹約に加え「もったいない」「ありがたい」といった英語にも訳せない言葉があります。豊かな精神文化があると思います。
 今や都会と田舎の二項対立ではなく、地球レベルで価値観を変えていく必要があります。昔は「持続可能」などという言葉はありませんでした。近代になって持続不可能なことに気付きはじめたからこそ、生まれた言葉だと思います。これからはただ発展するというだけでなく、どう発展するのが人類にとって幸せかを、私はこの小さな町から問うていきたい。

「生活文化研究所」

 会社名を生活文化研究所と名付けたのは、生活文化、生きている限り全ての人に生活はあります。夫は冗談半分でよく言うのですが、わが家の家訓は「潰しがきく」だと。継続していくには変化に耐えうることが必要です。
 私たちはアパレルという業種にこだわっているわけではありません。考え方やライフスタイル自体を商品に乗せて提案したいのです。自分たちの理想とするライフスタイルをこの会社を通して発信しようとすると、必然的に衣食住全てに関わることになります。それが生活文化なのです。また、単にものを製造し売るだけでなく、自ら実践しながら理想の生活文化を創っていくための会社、ということでネーミングしました。
 日本は繊維で成長した時代もありましたが、今は総合衣料の約97%が海外生産と聞きます。人件費の安い中国やベトナムなどに技術が流出してしまいました。先日、静岡の繊維の産地に行きましたが、数十年前は1500社の織物屋があった場所が今は十分の一になっていました。また、新潟のある会社では、今ではその1社しか作れない生地があり、職人がいなくなればその染めはできなくなります。なんとか残したいと20年来注文し続けています。
 少量生産でコストのかかるやり方なので、経済的には苦しいです。でも夫は「経済49%、文化51%のバランスが大切だ。ほんの数%の高い志と厚い哲学の壁があれば、これからの時代は生きていけるはずだ」と言います。その比率は確かに厳しい。しかし、それを信じてきたのが、二人の生き方だと思っています。

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群言堂のカフェでは食事もいただける、若者には珍しい竹皮包みのおむすび


古民家再生は人間の再生・社会の再生

 古民家再生の第1号は本店です。私たちは30代半ばでした。この町に店を持ちたいと思ったのがきっかけです。この町が好きだという地域に対する愛情が最初にあり、営業していけるかどうかの経済性は一切考えませんでした。当時JRも通らない、寂れたこの町に店を作ることに誰もが反対しました。古民家再生というのは、ある意味で人間の再生・社会の再生につながると思うようになりました。
 本社の茅葺の家は30代の若い職人さんが中心となって葺き替えました。物を残さなければ、技術も残らないし職人も育ちません。今の社会は「より早く、より多く、より安価に」を重視しがちです。日本は経済優先で成長しましたが、その経済の先行きも見えてきています。
 これからは文化の力だと思っています。全てが豊富な今の時代になって、若者の意識も少し変わってきています。安いかどうかというよりも、そのモノがどのような理念の会社でどういうプロセスで作られているかに関心を持ちます。消費は未来への投票であるといった若者もいます。これからは世の中が本当の意味で豊かに変わるだろうという期待を持っています。

命を活かす

 最近の日本人はとりあえずの暮らしをするようになり、昔のような根のある暮らしは少なくなりました。お金を出せば何でも簡単に買えるし、お金を払えば簡単にやってくれる人がいます。私たちの母、祖母の時代の女性は、家事のほとんどのことが自分でできたのですね。すごい生活力です。今の人は高学歴になり知識はあっても、生活力が低下していると感じます。
 しかし、それは若い人の責任ではなく、私たち世代の責任だと思っています。ある書物で「いい世の中を創り、残してきた先人のおかげで今の自分たちがある。次の世代の人たちにいい世の中を残せるか、それが今を生きる人の一番大事な仕事」と書いてありました。私たちはそれができなかった世代かな、と思います。それならば、今からでも意識を変えていけばよいのではないでしょうか。団塊世代の私たちは最も豊かさの恩恵を受けてきたのだから、人生の終盤には社会にお返しをしていかなければと考えています。
 当たり前のことですが、人生は1回きりです。そして生命が生まれ生きているということは奇跡に近いのだと、日々感じています。実は90歳になった時の自分を見てみたいと思っています。単に長生きがしたいということではありません。理想の小さなコミュニティの中で私なりの命を活かすような楽しい生き方ができたら、どんな自分になっているのかを見てみたいのです。


(取材 久保和夫)

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群言堂 石見銀山本店
〒694-0305 島根県大田市大森町ハ183
TEL:0854-89-0077
HP:http://www.gungendo.co.jp/

■ 群言堂の名前の由来 ■
多くの人の声を聞く場が群言堂。
反対に権力者が何事も決める上意下達の場が一言堂と言います。
群言堂は現在、北海道から九州まで31店舗を全国展開しています。