トスカーナの風に吹かれて

トスカーナの風に吹かれて

 パリミキ インターナショナル SA ダイレクター 峯岸 秀孝
252tikyu02.jpg


三城ブランドの一つである、美しく輝く金が素材のAUフレーム。イタリア伝統の繊細な宝飾技術で加工され、日本の匠の技術によって先進的かつ機能的なメガネへ仕上げられています。三城の90周年にあたり、故多根裕詞社長のヨーロッパ秘書をしていた峯岸さんに、AUフレームが生まれた当時の様子を語っていただきました。



始まりはパリ店から


 あれは確か1990年の秋のことだったと思う。パリ店でMさん(10年来のお客さまで九州博多で骨董商を営み、年に2〜3回はヨーロッパに買付けに来ていた)の接客をしていた時のことだ。メガネの用件も済み、その日なぜか妙に気になっていた彼のブレスレットについて質問した。

峯岸
 Mさん、その立派なブレスはもちろん18金の値打ち物でしょうけれど、それだけ一つ一つの環が大きいと重くありませんか?

Mさん
 それがそんなに重くないんですよ。手に取ってご覧なさい。

 と自分の腕からそれを外して、私の手の平に渡してくれた。意外や意外、この極太の環でできていたブレスレットは予想を超えて軽かった。

Mさん
 驚きましたか?でもレッキとした本物の18金製です。ただ、中が空洞なんですよ。

峯岸 どこでこの様なものを見つけ出したのですか?

Mさん
 そう簡単には教えませんよ(笑)。実は、イタリアには昔から中空の金細工を重用する文化があるんです。フランスでは中が空洞のものは、マシフ(純無垢)でないとかいって本物と認めない。それに関しては、私はイタリア人の方が現実的かつ合理的だと思っています。これは私が、フィレンツェで見つけたものです。

 その時突然、我々の会話に割り込んできたのが、偶然その日その場に居合わせた当時の社長タネヒロシだった。

タネ
 横で勝手にお聞きしていたのですが、面白いお話ですね。もしお時間が少し取れるのでしたら、隣のカフェでもう少し詳しくお話を伺えませんか?

 こんな具合に三人で行きつけのカフェ「ククー」で1時間ほど、イタリアと金細工の話に花を咲かせた。Mさんは骨董だけでなくイタリアにおける中空製を含めた14金~18金加工製品の工業生産レベルの高さも熟知されており、細い金のチェーンを自動製造できる小型の機械を生産している工場の所在地まで教えてくれたのだ。この後、Mさんと別れてからのタネヒロシの興奮度は尋常ではなく

タネ
 峯岸君すぐにイタリアへ行こう。一番早い飛行機を取って今日これから出発しよう。

峯岸
 でも、先方とのアポも取れていないですし、どうやって行くのが一番確実で速いのかも分からないですし、第一、私はイタリア語はできませんよ。

タネ
 そんなものは何とかなる。まず行くことだ!

と、すごい剣幕。結局ミラノ在住の永井さん(三城の関係者)に連絡を取り、ペルージャの小さな飛行場で三人が合流したのは、その翌々日だった。ここに我々のイタリア行脚が始まった。


千金に値する一言

 目指す自動チェーン製造機のある工場は、車で1時間程走った麦畑の真ん中にあった。我々は工場長の歓待を受け、広く明るく清潔な工場を案内していただいた。そこには縦1m×横1m×高さ1m40㎝位の機械が30台ほどカチカチとリズミカルな音を立てて、14金の細い帯状のチェーンを際限なく吐き出していた。

 「何と...!」タネヒロシはしばし言葉を失った。「君、どない思う?これは催事の時に使ったら面白いな...」など。

 そして、場所を会議室に移して数々の説明を受けていた途中、先程から何か思案気味だったタネヒロシが質問をした。

タネ
 こんな複雑な細い中空のチェーンを自動的に作る機械がここにはある。本当に感心しました。ということは、もっと単純な細い中空の筒も作れる訳でしょうか。

工場長
 はい、もちろん技術的には一切問題はありません。ただ我が社はチェーンに特化した工場ですのでここにはありませんが、あの山を超えた先のBという工場を訪ねてみては、いかがでしょう。もしかしたらあるかも知れませんよ。

 工場長に心からの感謝の礼をして、また、車に揺られて山を越えてやっと辿り着いたこのB工場にも、それはなかった。

B工場長
 残念ですが、我々もその手の物は扱っていません。私の知っている範囲で可能性があるとしたらN社でしょうか。でも、ここから約100キロ先の工場ですよ。

 しかし、タネヒロシは諦めない。翌日早朝の出発を決めて、その晩は近隣の旅籠で一泊した。

 翌朝は快晴のトスカーナの田舎路、風に吹かれて車に揺られ、爽快に宝探しの気分で目的地のN工場に到着したが、ここにもそれはなかった。けれども、そこの工場長の一言は正に千金に値した。

N工場長
 私の理解が正しければ、中空の細いチューブを作る機械を購入なさりたいのですね。でも、失礼ですがそれは難しいでしょう。第一、スケールの違った大きな本格式な工業製作機械が必要で、なおかつそれに伴う技術や特殊なノウハウ、それと熟練工が必要です。もし、中空のチューブが必要なのでしたら、それを製作している工場でそれ自体を購入すべきです。アレッツォにそんなチューブを製作している会社があります。《アレッツォ‐ウノ》という会社です。

 正に晴天の霹靂。即座に街道へ飛び出した。


偶然ではない出会い

 アレッツォは中世の面影を残す中都市でこのアレッツォ‐ウノの工場はその街中にあった。案内された工場は本格的な工業製作工場で、油にまみれた大きな機械群が唸っていた。その中の一つの工作機械が中空のチューブを造っていた。2m以上の長さで抽出される14金の細いチューブを目の当たりにして、タネヒロシは「あった!...これだ!...」とただ呆然と見惚れていた。画期的なAUフレームの素材になる14金、18金の中空チューブはこうして探し出されたのだ。

 今、この出来事の経過を振り返ってみると、単純な疑問が起こる。あれは本当に偶然の積み重ねだったのだろうか?私は違うと思う。タネヒロシの見えない大きな意思が底に流れていて、出会いから出会いへと、それこそ環を作って行ったような気がする。彼はお客さまに真に最高のものを届けようとだけ考えていた。そのために「世界に未だない、そして世界にただ一つのもの」やサービスを、常に求め続けていた。彼のその子どものような純粋な情熱が、会う人一人ひとりの心に響き、紹介の連鎖を作って行ったのだろう。
 
 好奇心の塊だった彼には、駆け引きなしにまず一歩踏み出し動を起こす姿勢があり、それも好感を生んだと思う。いずれにせよ、一人の日本人の真摯な想いと態度が、イタリア人の心をも揺り動かしたのだ。

 あのトスカーナの空気と風は、なんと爽やかだったことか。


252tikyu01.jpg
AUフレームの中空構造の当時の資料