フランスの象徴が燃えた、悲劇の夜

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復興中のノートルダム大聖堂


フランスの象徴が燃えた、悲劇の夜


2019年4月5日、パリ。午後7時頃「ノートルダム大聖堂が燃えている!」と、思いがけない言葉が飛び込んできました。 慌ててニュースを検索してみると、今まさに炎上している大聖堂の姿。夢にも思わなかった光景に衝撃を受けながらも、「きっと、すぐに消火されるはず」と祈るような気持ちでした。しかし、その後も火の勢いが弱まることはなく、 午後8時過ぎには地上約90メートルまでそびえていた尖塔が焼失。「もしかすると、このまますべて燃え尽くされてしまうのでは」と、一気に不安が高まり、やるせなさと心細さが押し寄せてきました。

テレビの現場中継では、セーヌ川の対岸から炎に包まれた大聖堂を見守る群衆の様子も映し出されています。なすすべもなく呆然と立ちすくむ人、涙を流しながら聖歌を口ずさむ人。パリ、そしてフランスで生きる人々にとって、 大聖堂がどれほど心のよりどころであるのか、その存在の大きさを改めて実感した夜でした。


ノートルダム大聖堂、850年を越える歴史

「ノートルダム」とは、フランス語で「私たちの貴婦人」。つまり、キリスト教における聖母マリアのことです。パリのノートルダム大聖堂の歴史の始まりは、 国王ルイ7世の時代の1163年。100年がかりの大工事で完成した美しいゴシック様式の大聖堂は、国を代表するカトリック教会として君臨しました。

しかし、フランス革命や宗教分離などで荒廃し、老朽化も進んで取り壊しの危機に陥ります。苦渋の時代を耐え忍んでいた大聖堂を救ったのは、1831年に小説『ノートルダム・ド・パリ』を発表した作家ヴィクトル・ユーゴーです。荒れ果てた大聖堂を舞台に、中世の一般市民の日常を生き生きと描いたこの作品の人気のおかげで、ようやく世論が大聖堂の再生を支持するようになりました。

1844年、20年に及ぶ大掛かりな改築・修復工事がついにスタート。ガーゴイル(怪獣をかたどった雨水の吐水口)の追加や尖塔の再建がなされ、 大聖堂は生まれ変わりました。宗教、権力、建築、 アート...パリのノートルダム大聖堂を彩る魅力は、時代と共にいつも変化し続けてきたのです。この長く波乱万丈な歴史こそ、フランスの人々が大聖堂を愛してやまない所以なのかもしれません。


失われたもの、守り抜かれたもの。そして復興へ

火災発生から約12時間後の4月16日未明、ノートルダム大聖堂はようやく鎮火。そして、朝の訪れとともに、焼け跡となった大聖堂の詳細が明らかになってきました。木製の尖塔と屋根はすっかり焼け落ちたものの、石造りの南北の塔や建物の枠組みは残されており、再建の可能性がつながったことに国中が心から安堵しました。

また、 夜の闇に紛れながら決死の活動を続けていた400人を超える消防隊員の方々のおかげで、1239年から伝わる聖遺物『いばらの冠』や「聖ルイのチュニック』など、貴重な文化財の多くが炎の中から運び出されていたこともわかりました。さらに、大聖堂内の巨大なステンドグラスやパイプオルガン、13トンの大鐘までも、奇跡的に無事だったのです。そしてフランスは、火災の夜にすぐさま再建を宣言したマクロン大統領とイダルゴ・パリ市長を筆頭に、大聖堂の復興に向けて歩き出しています。瞬く間に立ち上がった募金システム、尖塔再建のデザイン世界公募など、この国のいざという時の行動力と柔軟性、スピード感には、本当に感心させられます。

今回の火災は心が痛む出来事でしたが、これまでも8紀半にわたって多くの苦難をくぐり抜けてきた大聖堂は、必ずまた私たちにその優雅な姿を見せてくれるはずです。ノートルダム大聖堂の新たな歴史に立ち会えることが、今は楽しみでなりません。


パリミキ フランス  長谷川 泰三