美しき?電線の中の日本

銀座の通り


美しき?電線の中の日本



パリの美しさの秘密

 私が日本を離れてもう45年が過ぎてしまった。1973年暮れにシベリア経由でやっと着いたパリの街は威風堂々として衝撃的に美しく、何日も憑かれたように夢中でそこら中を観て歩き回った。その時、日本からやってきた異邦人に不思議に感じられた一つが、この花の都に電柱と電線がないことだった。

 時が経ち、これと全く逆の電柱と電線だらけの日本を思い知らされたのが、1995年1月17日の阪神大震災の神戸の映像だった。瓦礫と化した無数の家屋に、壊れた電柱と切断された電線が覆い被さるように垂れ下っていた。私は年に何度か帰国してその度に、東京と兵庫県姫路市とを往復しており、新幹線の車窓から見た神戸市辺りの惨状は、大きなショックだった。実際に神戸では90%の電柱がこの直下型の地震で崩壊、災害時には正に危険物、凶器にさえなっていたのだ。1986年の『電線類地中化計画』あたりから無電柱化は叫ばれていた訳で、それからもう30年以上が経過している。


進まない無電柱化率

 日本で生活しているとこの電柱も電線も全く気にならなくなるのだろうが、街の景観を著しく傷つけているのは事実であり、美観の上からも地中に埋め込むべきだ。ところが先日、世界主要都市の無電柱化率の統計表を見て愕然とした。ロンドン、パリは100%、香港も100%、台北が95%、ソウルでさえ46%、それにひきかえ東京23区で7%、大阪5%、何と京都は2%、という恐るべき数値だったのだ。
 しかも今でも毎年7万本以上の電柱が増え続けているとあった。本当の意味で優雅な古都、京都の街並さえ電柱と電線でその情緒を削いでしまっているのだ。外国人(私ももう半分以上外国人かも)には、それを何とも思わないでいる日本人の心情が理解できないようだ。

 フランス人の友人が、私にこうつぶや呟いたことがある。「京都には驚嘆に値する美しい場所がいたるところにある。ただし集中して1カ所を観ていればそれは素晴らしいが、ちょっと首を回して360度見渡すと幻滅することが多々ある」その一因として彼が挙げたのが電柱と電線だった。せめて京都ぐらいは完全無電柱化を実現して、往時の雰囲気を取り戻したら、と考えるのは異邦人の余計なお節介なのだろうか?


自らの変革に期待

 私は最近、ヨーロッパ人を東京の銀座へよく連れて行く。自分でも意識していなかったが、電柱と電線のない街、銀座へ足が自然に向いているのかも知れない。この無電柱化の工事が一向に進まないのは、ご多聞に漏れず政府と地方自治体と電力会社との利害関係、癒着、談合、などが原因なのだろう。

 だが、オリンピック開催を1年後に控え、観光立国、外国人旅行者4千万人を目標にするなど「美しき?電線の中の日本」は自分を変革できるのだろうか?幕末、明治初期に来日した多くの欧米人に感銘を与えた「素朴で絵のように美しい日本の風景」はもう永久に消え去ってしまったのだろうか?多少なりとも、その面影でも取り戻せたらとの想いから「まず電柱と電線をなくしてみたら」と夢見るのは、しょせん所詮、異邦人の幻想にすぎないのだろうか。


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パリミキ インターナショナル SAダイレクター  峯岸 秀孝