自立で街が蘇る

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三城ホールディングス 古賀 茂樹


 高い志での自立で街が蘇った。少し前の話だが、2009年に都市圏としては、フランス第二の都市と言われているリヨンを訪れた。リヨンは、フランスの中央部に位置しており、ローヌ川を下れば、地中海のマルセイユに行くことができる。古くからこの地形を活かして貿易が盛んに行われ、絹の町、金融の町、美食の町として有名だ。
 永井荷風が横浜正金銀行の社員として滞在した地で、その体験がのちの「ふらんす物語」になった。

 リヨンは絹と織物で栄えた都市だが、日本とのかかわりは、大きく分けて三度ある。
 1855年にスペインで発生した蚕の病気がヨーロッパに広まり、リヨンの絹織物産業に打撃を与え、失業者が増加。日本の蚕は病に強い事から、リヨンから横浜に日本の生糸を買い求めた、その結果、生糸は暴騰し粗悪品が出回り、日本の生糸の評判が落ちた。
 絹織物の需要拡大の為に明治政府はフランス人技術者のポール・ブリューナーを招き、1872年に富岡製糸場が造られた。絹織物の日本からの輸出が、1930年代に世界一位を占めるようになり、リヨンは打撃を受けた。
 さらに、1960年頃になると日本の化学繊維工業が、世界の18%を占めるようになり、それ以降、リヨンの織物産業が完全に衰退していった。日本の影響でカタコトと聞こえていた織り機の音は消えてしまい、人々は離れて行き、街にペイントの落書きが増えていった。

 「リヨンの街に活気を、若者に夢を、未来を」とリヨンの街おこしが始まった。市から依頼を受けたイザベラ・グレイス女史がまず行ったことは、才能ある若者の活用でした。リヨンの街の真ん中に、約10店舗程のアーティスト・ヴィレッジを創り、才能あるアーティストを選び、発表場所を提供することでした。ビジネスの経験のないアーティストには、専門家からのアドバイスを行い、また、非常に安い家賃にして、23ヵ月間の店舗運営を行い、自立を促して行く。自立がうまく行けば、近くの場所を紹介して行くことで、灯りが一つ、二つと増え、街全体に灯りが戻ってくる。そして、その灯りに、才能ある人々が集ってくる。

 今リヨンの街は、才能あふれる人々の街へと変わっていった。人づくりが、街づくりに繋がっている。世界遺産に登録されたリヨンをイルミネーションで幻想的に照らしている。12月から行われる光の祭典で、ヨーロッパだけでなく世界から、多くの観光客が訪れる街になった。魅力的な街となったリヨンを、今日もイルミネーションが照らしています。

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リヨンを照らすイルミネーション

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リヨンの街で自立したアーティスト店舗で購入したバッグ